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武田の笹かまぼこロゴ

復興にかける従業員の強い想い

海の駅 武田の笹かまぼこ 様

【東日本大震災の記憶】

あの時の怖い記憶は今でも忘れられません。
当施設は、宮城県塩釜市の海に面するところにあり、大きな揺れが収まってから30分後には津波が押し寄せました。1階部分は浸水し、工場および資材や事務所は壊滅状態、顔色を変えて逃げ込んできたご近所の方々やタクシー運転手さん、従業員を合わせて約60名で2階に避難しました。
2階部分の客室を開放し、避難所生活は3月一杯続きました。その間、ご家族と連絡が取れてお帰りになる方もおりましたが、避難した全員で力を合わせて避難生活を送りました。食べられるものは3日で尽きてしまいましたが、徐々におにぎりや毛布が配給されるようになりました。暖かい毛布は全員が心待ちにしていたので、今でも鮮明に記憶しています。
4月に入ってから、ボランティア精神で集まった従業員で、少しずつお店を再開し、6月になってようやく「かまぼこ」だけで再スタートをきることができました。

地域の方々との絆は今まで以上に深まり、復興に向けての大きな力となっています。

【教訓】

どこに逃げるなどの話し合いを、家庭や学校で事前にしておくことが必要。
お薬手帳は肌身離さず携帯しておくことが必要。(手帳があればすぐにでも薬をもらうことができた)

武田の笹かまぼこ絆

【武田の笹かまぼこ(良子の詩)】

武田の笹かまぼこ(良子の詩)1

武田の笹かまぼこ(良子の詩)2

武田の笹かまぼこ(良子の詩)3

武田の笹かまぼこ(良子の詩)4

武田の笹かまぼこ(良子の詩)5

武田の笹かまぼこ(良子の詩)6

man

暗くなってからの外出は危険

仙台市在住 男性

【東日本大震災の記憶】

「もう2度と体験したくない」その一言に尽きます。
大きな揺れに耐えながら、最初に脳裏に浮かんだのは、小学校に通う子供のことでした。揺れが収まると、すぐに小学校へ向かいました。道中、倒壊した家屋や避難する人々を横目に見ながら、乱れた交通状況の中、ようやく小学校へ到着しました。子供の無事な姿を見たときの安堵感は、今でも忘れません。

【大変な時こそ、モラルをもった行動を】

3月11日の地震以降、最大の揺れを感じた4月7日深夜。本震よりも大きな揺れを感じました。揺れが収まると、念のため避難場所の高台へ向かいました。多くの人が避難場所へ向かう中、猛スピードで海の方向へ走る車…多くの方が被災し、苦しい状況の中でも、空巣や窃盗が目の前で起こっている現実がとても悲しく感じます。
震災直後は、電気が付かないため夜になると真っ暗でした。そんな中こうした事件が多くなり、大変危険な状況でした。

【持ってて良かったと感じたもの】

手回し充電ラジオ・ライト

震災直後は情報源がラジオのみだったため、とても助かった。
夜は真っ暗になるため、家の中でも必需品だった。

卓上ガスコンロ・ガスボンベ

カップラーメンのお湯を沸かしたり、震災後の生活をするうえで必需品だった。近所の方と協力して使用したりしていた。

マスク

倒壊した建物が多く、ほこりや煙を防ぐのに助かった。

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